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株式会社 松風

歴史と理念を知る。

歴史と理念を知る。

創業物語

松風家はもともと明治時代に京都清水坂において代々陶磁器製造を生業としていた。

■創成期

当社の創業者である三代松風嘉定は、陶磁器の輸出や高圧碍子の製造を事業としておりました。1915年、三代松風嘉定が陶業の拡販のため北米を視察した際、日本の近代歯科医療の父祖とも呼ぶべき岡田満医学博士と出会います。岡田は嘉定に陶歯の国産化を力説しました。当時の陶歯は欧米製が主流で大変高価であり、優れた国産陶歯の開発・製造は日本歯科医療界の宿願でもあったのです。
陶業においても先進の機材や材料、燃料を取り入れるなど創意工夫を惜しまなかった嘉定にとって、人工歯への未知なるチャレンジは冒険でありながらも魅力的に感じられたのでしょう。
そして1919年に松風陶歯研究所を新設、紆余曲折を経ながら1921年には日本初の本格的な高級陶歯「アナトーム型態」の開発に成功。1922年には松風陶歯製造株式会社が発足しました。しかしビジネスとしては順風満帆とは行かず、返品が続くなど市場にはなかなか受け入れられません。懸命な試行錯誤と改良を重ねつつ、嘉定はサンプルを携えてジュネーブ、ブリュッセル、ベルリンなど世界各所の大学歯学部に批評を求めました。今の松風が海外に広くチャンネルを求め積極的に展開する姿勢はすでにこのとき萌芽しています。

■成長期

松風が軌道に乗り始めたのは昭和に入ってから。1932年、揺籃期にあった日本の歯科医療の中で歯科材料の規格制定を果たし、その後の歯科医療界の発展の礎を築きました。
やがて日本は戦争に突入、残念ながら様々なものが灰燼に帰しました。終戦直後のエピソードですが、当社を視察したGHQの歯科担当大佐が、松風においてレジン歯とレジン床が製造されているのを見て驚嘆しています。連合国側でも同様のものが製造されており、それに劣らない製品があることに敬意を表すると述べたそうです。
戦後の混乱を脱し、松風は次々と新製品を発表します。我が国初の真空焼成陶歯やダイヤモンド研削材、そして1965年、歯科材料市場に革命をもたらしたと評されるスフェリカルアマルガムを発表。これは国内のみならず世界市場にインパクトを与えました。松風が国際化を目指す本格的なスタートとなっています。

以降、世界各国への展開や数々の新製品の開発を重ねながら、1983年には社名も現在の株式会社松風とし、1989年には歯科業界からの初の上場企業となりました。創業当時から一貫した進取の気質と常に変化へのチャレンジは、脈々と現在にも受け継がれているのです。

松風家はもともと明治時代に京都清水坂において代々陶磁器製造を生業としていた。